自由な場所と逃げたい私

適応障害とか言われてる20歳女子の精神病棟入院記。10月20日退院。

ラストティーン、おめでとう!

私の家庭は比較的恵まれています。父は公務員で安定した収入があり、私以外に子供もいませんし、同居している祖母には要介護手当てのようなものが出ているので、お金のかかるところが少ないのです。

高校時代は、なんとなく国立大学を目指すつもりだったので、個別指導塾で苦手な数学を補っていました。その数学を丁寧に教えてくれていた先生と、地元の夏祭りの頃に恋仲になりました。21歳の彼は専門学校を出て、既に社会人として東京で働いていました。家庭の事情で1年休職し地元に帰り、とりあえずのアルバイトで塾講師をしていたそうです。私が大学生になる頃には東京に帰ってしまう・・・。そういうわけで、私は希望進学先を東京の私立女子短大にしました。得意な英語さえあれば、簡単に合格できる大学です。偏差値も就職率も高めで、華々しい名前のついた短大です。滑り止めすら受験せずとも、反対されることはありませんでした。唯一、母から出された条件は短大の寮に入ることでした。もちろん私はその条件をのみました。

さて、その寮は教育寮と呼ばれる厳しい規律のある寮でした。その規律やら門限やらに文句はありませんでした。学校で興味のあることを学び、渋谷でショッピングして、友達のいる寮でわいわい暮らす。金曜日の夜から日曜日の夜まで彼の家に外泊。幸せでした。五月病にもなりませんでした。人生で一番元気だったんじゃないかと、今になって思います。

調子を崩し始めたのは6月頃。2人部屋でも全く気にならなかった他人の生活音が、急に聴覚と思考を襲いました。床を擦るような足音、教科書をめくる乾いた音、友達が飴を舐める音。全てがイライラに変わりました。寝つけない。中途覚醒。寮のどこにいても落ち着かない。それが1ヶ月半続いた頃、期末試験直前が私の誕生日でした。待ちきれないといった様子で誕生日の2日前、仲の良い友達が続々とプレゼントをくれました。

「あぴんちゃんと出会えてよかった!おかげで毎日楽しいよ!ありがとう!19歳おめでと!!」

「フライングでごめんね。これからも一緒に課題がんばろう!P.S.シュークリーム、早く食べてね♡」

「彼氏だけじゃなくて、わたしとも遊んでよ(笑)happy birthday♡」

すごく嬉しかったです。眠れなくても、音が気になってきつくても、彼女たちのことは、やっぱり大好きでした。 これからもやっていける。試験だって余裕。このまま、あと1年半がんばろう。

体調不良をリポビタンfineで乗り切り、私は全ての科目の単位をA評価で取得し、夏休みを迎えました。閉寮になるので、恋人の家に避難しました。相手が友達だろうと恋人だろうと、既に私は誰かと同室で眠るということができなくなっていました。授業終わりに通っていたメンタルクリニックで処方されていたデパスでも、眠れなくなっていました。誕生日から約1ヶ月後。寮の友達からLINEが来ました。

「すっかり言うの忘れてた!誕生日おめでとう!ラストティーン、おめでとう!彼氏と仲良くね!」

この言葉で、がんばろうと思えるほど私はもう強くありませんでした。壊れる寸前でした。ラストティーン?なにそれ?ねえ、眠らせて。