自由な場所と逃げたい私

適応障害とか言われてる20歳女子の精神病棟入院記。10月20日退院。

入院に至るまで 1

「ごめんね、この家にいたくないの。入院させて」

これが母に言った決定的一言です。一世一代の賭けでした。この一言のために私はデパスを3錠ほど飲み、寝逃げするためハルシオンを1錠握りしめていました。

「そっか、わかった。明日病院に電話するね」

母は落ち着いているように見えました。よかった、と安心して眠りにつきました。

翌日。十数年ぶりに母のパニック状態、欝状態を目にしました。そして、初めてそのパニックをぶつける相手が私になりました。

「私は娘に安住の地も与えられないダメな母親です。あーちゃん、ごめんなさい。ごめんなさい。許して。死にたいなんて言わないで。あんたは何も悪くない。死ぬのは私。私は生きる価値もない人間です。許して。許して!」

こんな様子で私の部屋の畳に額をこすりつけて、ボロボロに泣いていました。どうしよう。とりあえず落ち着かせなきゃ。私は母を宥め、なんとか自室で寝せておくことに成功しました。しかし。30分後、母は再び私の部屋を訪れました。

「ふふふ、ねえ。死にたいんでしょ?私もこんな暮らし辛い。あ!一緒に死ねばいいんだ!どーしてこんな簡単なことがわかんなかったんだろう!首吊る?手首切ってお風呂に浸ける?車で海に突っ込む?ねえねえ!」

狂気です。私はケタケタと笑い、泣きする母をタクシーに引っ張り込み、かかりつけの心療内科に連れていきました。母は90分ほど点滴を受け、心中をしようなんていう活力を失い、欝状態で放心していました。よく分からない強い薬を出され、きちんと飲ませるようにと私に指示が下りました。まあ、心中させられるより余程マシな状態です。こうして私の入院は延期になりました。