自由な場所と逃げたい私

適応障害とか言われてる20歳女子の精神病棟入院記。10月20日退院。

死にたいあの子

久々に死にたいです。ああ、久しぶり。きっかけと呼べるものは、取るに足らないような、もはや自分で説明できないようなものです。せっかく入院生活では落ち着いていたのに。どうしたものでしょうか。

おそらく、ですが。月曜日の診察が効いているのでしょう。実家に戻りたくない私と母親との対話が必要だと主張する主治医。
「結局あなたは実家に帰る以外ないんでしょう?」
「はい。でも、いまさら母と話す気にはなりません。顔も見たくないです」
「そりゃあ、いけないよ。実家に帰ればお母さんと一緒に暮らすことになるんだからさー。うーん、親子カウンセリングしたほうがいいんじゃないかな。僕と3人より、カウンセラーさんのほうがいいね。自分でカウンセラーさんに持ちかけてごらん。はい、以上です。あ、君が家に帰れるようになるまで、いっくらでも退院は延びるからね。以上」
強制終了。アスペルガー症候群傾向にある私にとって、畳み掛けるような話し方は御法度なのです。主治医自身がそう言っていたのに、有無を言わせぬ態度で私に話をするのです。信じられません。ああ、もう嫌だ。嫌だ。嫌だ。
親子カウンセリング?東京でやりましたよ。母は初対面の相手には非常に上手い立ち回りをやるのです。「お母さんは、子離れできていないようですね。あなたが苦しむのもわかりますよ」だなんて言っていたカウンセラーをものの25分で、「きちんとした考え方のできる人じゃないですか。子離れしているし、健康的な思考をお持ちです。あなたのほうが親離れできていないんじゃないですか?」と言わせてしまうような人間なのです。どうせ、同じことが起こるのです。そんなカウンセリングに意味があるはずないでしょう?
そんなこんなで鬱々としています。死にたい感情をこの病棟内で口にしてはいけません。一瞬で男性看護師に取り押さえられ、拘束だとかPICUに入れられてしまいます。死ぬなら確実に。そして無言実行。先程、ベルトを輪っかにしてトイレのドアノブにかけ、首を通してみました。本気でやれば死ねないことはなさそうです。吊ってから20分見つからなければいいのです。さあ、いつでも死ねます。安心して過ごしましょう。確か、この感覚を長谷川彩乃と呼んでいたかと思います。久しぶり、死にたい私。

鏡よ、鏡。私を助けて

どうしたものでしょうか。やはり私は、食べることは怖くないのに、体重が増えることが非常に恐ろしいのです。周りに拒食の人や食事制限をかけられている人もいません。最近は体重を増やそうね、とも言われていません。それなのに、です。外泊したとき、ディナーはイタリアンレストランのカルボナーラで、その次の日は朝を食べずに昼間にとんかつを食べました。久々に高カロリーなものを食べました。そのときは、「私太ってないし、好きなものを好きなだけ食べていいよね」という具合で、健康的に食事ができたのです。

そして17時過ぎ頃、病院へ帰ってきました。帰院が夕食に間に合ったので病院食を食べました。特別おいしいとは感じないけれど、バランスの良い食事です。昼間のとんかつは既に消化済みだったのか、夕食は完食できました。ふぅ、やっぱりまだ病院が落ち着くなーだなんて思いながら眠りにつきました。
恐怖が襲ってきたのは翌朝でした。寝起きの自分の顔は、できるだけ見たくありません。さっさと顔を洗って、化粧水をつけて・・・。朝食はいつも白米を食べるだけで精一杯です。5分もかからない朝食後、しっかり目が覚めた自分の顔を鏡に写します。歯ブラシをくわえた顔が、やたらと太って見えました。え?歯磨きを終わらせ、洗面台の鏡を見つめてみます。ちょっと顔周りがふっくらしてない?どうして?外泊のときの食事のせい?まさか。それだけで、太るわけない。頭ではちゃんとわかっているのです。わかってはいるけれど、あご辺りが太ったような気がするのです。思い込みだ。そう言い聞かせて、普段通りのメイクをしました。私物の鏡で、時間をかけてメイクしていきます。いろんな角度から自分の顔を眺めます。うん、いつも通りだ。メイクした顔は、痩せているように見えます。一安心しました。
しかし、恐怖は朝起きると再び起こるのです。外泊から帰ってきて今日で3日目。2度の朝を迎えて、やっぱり太ったんじゃないかと気が気でないのです。おかしい。どうしよう。入浴後のメイクを落とした顔をまともに見られません。もしかしたら、朝と同じ思いをするかもしれない、と怖くて仕方がないのです。おまけに、私には生理が安定してから必ず月に1度、食欲が増える期間がやってくるのです。まさに今、その期間なのです。食べたいけど、目を覚ましたときが怖い。いつもは何も気にせず食べられるのに、どうしてしまったのでしょう。
まだ、前にやったような不健康な運動には至っていません。まだ健全な食事と生活を送れています。怖いのは、明日の朝。どうしても鏡を見ないわけにはいかないのです。この感覚は一体、何なのでしょうか。

ただいま、かわいい私。

入院して初めての外泊が終わりました。ひとりで挑むには、あまりにリスキーだと思ったので同じ病棟の友達(一回り以上は年上ですが)の同伴で実家に帰りました。西の果てのさらに西の果てにある実家周辺は、それなりに栄えています。

病院でのカジュアルスタイルな服を実家で着替え、ココディールのオフショルダーワンピースでガーリー全開。モデル体型になった自分を全身鏡で見て歓喜。スタバで友達とおしゃべり。ショッピングモールで長い長いお買い物。イタリアンでディナー。とても楽しかったです。飼い犬にも会えて、べろんべろんに舐められて、抱っこして、お腹を撫でて、ひたすら癒されました。
2日目は友達が街で用事があるというし、私も外泊する理由となった眼科受診を達成するために、別行動になりました。遂に母とふたり、1対1です。緊張が走ります。入院して元気になった私でいなくてはなりません。少しの失敗も許されません。私は母の言動や表情を敏感に読み取り、慎重に発言しました。おそらく私は、回復したあーちゃんをほぼ完璧に演じきれました。そして、帰途に就きます。退院後、あれが毎日続くのだと悟り目の前が暗くなりつつ、母の運転に身を任せ、母と友達の話に適当な相槌を打ちました。病院に着くと、奇妙な安心感がありました。

母と家の中でふたり。
「あーちゃん、かわいかね」
当たり前です。自分の子供なのだから、かわいくないはずがないでしょう。
「だって、お母さんの子だもん」
母似という遺伝でかわいく育った?
自分の子だから、当たり前にかわいい?
この言葉を、母はどう受け取ったのでしょうか。
私って、本当にかわいい娘なのでしょうか。

綺麗な手。初めての赤。

入院してから1ヶ月半ほどが経とうとしていますが、長年治らなかった癖がいつの間にか、あっさりと消えました。

私には物心ついたときから、イライラしたり何かに集中していたりすると無意識に爪を噛んでしまう癖がありました。爪だけならまだしも、指先の肉まで齧ることすらしばしばでした。おかげで指先は他人に見せられたものではありません。いつも、どこかの指からは血が出ていて、絆創膏だらけの汚い手でした。それがコンプレックスなのに治すことができず、なおさらストレスは溜まっていくのです。人前で噛むことは絶対にしませんでしたが、1人でいると常にガジガジと口元に指先がありました。
しかし、入院して友達ができ、朝起きてから夜寝るまで一緒の生活が続きます。人前では爪を噛むことはないので、知らないうちに爪は伸び、血だらけだった指先は健康的に修復していました。私の入院する精神病棟では、作業療法活動が活発です。油絵、ドラム、生け花など様々な活動が毎日行われています。その中に、ビューティーサロンという活動があります。メイクやヘアメイク、顔剃り、足湯などの美容に関する作業療法の中に、マニキュアなるものがありました。「あぴんちゃん、お揃いで塗ろうよ!」友達が真っ赤なマニキュアを手にして微笑みます。あ、赤!?困惑しつつも、私は爪の甘皮を丁寧に切り、ヤスリで爪の形を整えてみました。友達は私の手を見て声を上げます。「わー!指、細くて綺麗!女爪だね!いいなぁー!」私が今まで手の綺麗な女の子にひたすら言ってきた言葉です。うれしくて泣くかと思いました。そして、私と友達はお互いの爪に真っ赤なマニキュアを塗りあいました。私は両手を目の前にかざしてみます。白く、真っ直ぐな指の先端でキラっと赤が輝いています。これが自分の手だとは信じられませんでした。一番のコンプレックスが、誰かに見せたくて見せたくて仕方ないものに変わったのです。
1日中、誰かといるから治っただけかもしれません。シャンプーもスマホの操作もやりにくいです。でも、爪が伸びて不便なことよりも、自信を持って他人に手を見せられることのほうがはるかに価値あることです。退院して、また実家でひとりになって体調を崩しても、爪だけは傷つけたくないと思っています。どこかで手は今の自分を表すものだと聞いたことがありますが、本当にそうだと思いました。今の私は安定して、美しい。自信を持って言えます。

天秤。体重と言葉

病棟に十代の子達が多かった頃には、過食だの拒食だのという言葉をよく耳にしていました。私を初めて見た大半の患者さんは、言いづらそうに「拒食で入院してるの?」と聞いてきます。もしくは、私の友達に「あの子拒食?」と聞くらしかったです。否定すると、驚かれます。まあ、160cm40kgでは拒食体型に見えても仕方ないのでしょうか。痩せたくて痩せたわけじゃないと言えば嘘になりますが、自分で努力したのは3kg程度。東京と地元で抑鬱状態のときに5kg。入院して病院食になってから知らぬ間に2kg。高校時代には50kg前後をキープしていたので、計10kgくらいは減ってしまったのです。看護師さんからも「あと5kgは太ろうね」と言われてしまいました。その時です。5kg、という言葉が急に恐ろしくなりました。そんなに体重が増えてしまったら、私じゃなくなる!「そうですねー、増やしたいんですけどねー」なんて口では言いつつ、軽いパニックを起こしていました。45kg?BMIは?痩せ型なの?いやだ!それまで考えてもいなかった体重への執着が、溢れだしました。食べることは怖くないのに、体重が増えることが恐ろしいのです。私はナースステーションの目の前にあるランニングマシンで毎日、時速6kmで30分間走るようになりました。学生時代には大嫌いだった持久走を自分からやるようになったのです。走り終わると安心しました。しかし、走るようになって3日、いつも通り走る私に看護師さんが近づいてきます。「ダイエットですか?それ以上痩せてどうするんですか?」「どうするって・・・」看護師さんの手が静かにランニングマシンの速度を落としていきます。「あの・・・」「今の体重から1kgでも減ると、僕らはあなたに拒食症のかたと同じような措置をしなければならなくなるかもしれないんです。僕は、そんなことをしたくない」ランニングマシンが止まりました。看護師さんが私の目を覗き込みます。体力作りをしたい、だとかそんな言い訳を述べることもできました。でも、私はあっさりと彼に説き伏せられてしまいました。点滴でも高カロリージュースでもなんでもやってみろ、という心境でしたが、私を心配してくれているという看護師さんの気持ちに心を動かされてしまいました。そして彼も、私に対して体重を増やそうね、とは一言も言いませんでした。こうして、私は不健康な運動をやめました。この一件以来、その看護師さんには何でも話せるようになりました。

精神病棟への入院とは、もともと持っている障害の他にも、近しい患者さんの影響で新たな障害を患う危険もあるということを知りました。私のように運良く止めてもらえる場合もありますが、仲の良い患者さん同士が互いの障害に影響されてしまい、病状が悪化するケースも少なくない、とつい最近聞かされました。